2009年 09月 17日
30年前の詩集 |
インドネシアの詩人レンドラさん(Rendra) が
8月6日に74歳で亡くなられたのを知ったのは、
9月14日付けのガドガドブログです。
日本ではあまりなじみのない方かも知れませんが、
私はとても思いで深い人。
それは1979年、単身バリに滞在中の私は
言葉の不自由さに自由を奪われるかのような不便を感じて
インドネシア語の勉強を始めたばかりでした。
デンパサールの中心街といえばガジャマダ通りしか
知らないほど狭い範囲で暮らしていたので、
通りにある小さな本屋さんで言葉の勉強にと、
短い言葉で綴られた詩集を買いました。
それが、「Empat kumpulan sadjak 4編の詩集」1961年発刊の
レンドラさんの本。
単語の全部を辞書で引いては言葉をつないでいたのです。
ところが、バリの友人の中には
「レンドラの本を持ち歩くと危険だよ」とか、
レンドラさんとジャワ太鼓のパフォーマンスをしたという
スイス人の女性と友人になった時は
「彼女は危険人物だから・・・」
とも言われました。
レンドラさんは当時の政府に反骨精神でパフォーマンスをしては
投獄を繰り返しながらインドネシア人に支持された
アーティストである事を知り、
政治に関しては私が立ちいってはいけない・・・・、
インドネシアの危険を感じたものです。
「エピソード」 作:レンドラ
私たちは※ジャンブーの木の下に座る
風の音を聴くのが好き
葉が動き散るのを見るのが好き
突然、彼女がたずねる
「何故あなたのシャツのボタンはいつもあいているの?」
僕は黙った笑ってかえす
彼女は優しくボタンを掛ける
一時、僕は優しい気持ちになって
彼女の髪に降り落ちたジャンブーの花びらを
ふるいおとす
※熱帯の果物の名
訳:ゆう子
あれから、30年が過ぎた今でも
彼がこの詩にこめたメッセージの深さまで訳せないままの私です。
レンドラさんの詩集を本棚から取り出すと
きついインクと湿気を帯びた本の匂いも消えていました。
インドネシアをもっと知りたいと思うきっかけになり
今のバティック制作にまで繋がっていった懐かしい一冊
レンドラ詩集本です。
ご冥福を心からお祈りします。
8月6日に74歳で亡くなられたのを知ったのは、
9月14日付けのガドガドブログです。
日本ではあまりなじみのない方かも知れませんが、
私はとても思いで深い人。
それは1979年、単身バリに滞在中の私は
言葉の不自由さに自由を奪われるかのような不便を感じて
インドネシア語の勉強を始めたばかりでした。
デンパサールの中心街といえばガジャマダ通りしか
知らないほど狭い範囲で暮らしていたので、
通りにある小さな本屋さんで言葉の勉強にと、
短い言葉で綴られた詩集を買いました。
それが、「Empat kumpulan sadjak 4編の詩集」1961年発刊の
レンドラさんの本。
単語の全部を辞書で引いては言葉をつないでいたのです。
ところが、バリの友人の中には
「レンドラの本を持ち歩くと危険だよ」とか、
レンドラさんとジャワ太鼓のパフォーマンスをしたという
スイス人の女性と友人になった時は
「彼女は危険人物だから・・・」
とも言われました。
レンドラさんは当時の政府に反骨精神でパフォーマンスをしては
投獄を繰り返しながらインドネシア人に支持された
アーティストである事を知り、
政治に関しては私が立ちいってはいけない・・・・、
インドネシアの危険を感じたものです。
「エピソード」 作:レンドラ
私たちは※ジャンブーの木の下に座る
風の音を聴くのが好き
葉が動き散るのを見るのが好き
突然、彼女がたずねる
「何故あなたのシャツのボタンはいつもあいているの?」
僕は黙った笑ってかえす
彼女は優しくボタンを掛ける
一時、僕は優しい気持ちになって
彼女の髪に降り落ちたジャンブーの花びらを
ふるいおとす
※熱帯の果物の名
訳:ゆう子
あれから、30年が過ぎた今でも
彼がこの詩にこめたメッセージの深さまで訳せないままの私です。
レンドラさんの詩集を本棚から取り出すと
きついインクと湿気を帯びた本の匂いも消えていました。
インドネシアをもっと知りたいと思うきっかけになり
今のバティック制作にまで繋がっていった懐かしい一冊
レンドラ詩集本です。
ご冥福を心からお祈りします。
by batik-yuko
| 2009-09-17 11:52
| 今日の旅の思い出
|
Trackback
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Comments(2)
Commented
by
mari
at 2009-09-18 23:18
x
yuko先生こんばんんは。
大切な、大切な詩集本ですね。
30年前のバリは殆ど日本語も通じなかったのでしょうね。
大切な、大切な詩集本ですね。
30年前のバリは殆ど日本語も通じなかったのでしょうね。
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Commented
by
batik-yuko at 2009-09-25 12:08
30年前のインドネシアで日本語が通じるのは戦争体験をされた、
年配の方でした。
時代の変り様を実感するのはバリで、でしょうか?
日本の出版社のバリガイドブックに目を見張り、
インドネシアの出版物が溢れる書店の数。
昨日は「魅せられてバティック4人展」へお出でくださって
ありがとうございました。
年配の方でした。
時代の変り様を実感するのはバリで、でしょうか?
日本の出版社のバリガイドブックに目を見張り、
インドネシアの出版物が溢れる書店の数。
昨日は「魅せられてバティック4人展」へお出でくださって
ありがとうございました。